・・・!!」



ビシッ・・!



「―――っ・・」





怖いもの知らず






それは、本当に些細なことだったのだ。
藤原の家にいるのはヒノエたち一家と女房たち使用人。

ヒノエはもちろん別当としての仕事があって忙しいので、いつもにかまってあげることはできなかった。
湛快も隠居したとはいえその手伝いをしたりしており暇ではない。

奥方はをめっぽうかわいがってくれているのだが、すぐに着せ替え人形のように豪華な服を着せたりするのでがあまり彼女の部屋によりつかない。
そうでなくても、奥方は奥方でいろいろと忙しい。

女房たちなどもってのほかで、常に仕事中なのだからの相手をしている暇はない。
彼女の遊び相手というのも仕事のうちといえばうちかもしれないが、仕事中に相手をしてもらうのは申し訳なくて、がいつも断っていたのだ。


第一、の相手をする・・・というのは主に武術の鍛錬の相手をするということなのだ。
女房や奥方とてそれなりに強いが、いくらなんでも彼女たちに怪我をさせたくはない。


結果、は一人で鍛錬に打ち込むことになる。



けれど、一人でできることなど限られておりたいしたことはできなかった。
ヒノエや湛快の時間が空いたときに教えをこうてはいるが、彼らはすぐに呼び出されてしまうのでいつも中断されてしまう。



“今日もヒノエはお仕事だし・・・いい加減屋敷の中も飽きてきちゃった・・・”



外に出ることを禁止されてはいないが、それには同行者が必要なのだ。
一人での外出は危険だからと止められているのである。



“ヒノエも湛快さんも心配性すぎるよ〜。熊野なんだから安全だと思うのに・・・”



気がとても澄んでいるこの地で、怨霊がでる可能性は限りなく低いのではないかと思っているは、
ヒノエたちが心配性すぎると感じているのだが、実際彼らが心配しているのはそういうことではない。

それも気がかりではあるが、場所によってはたちの悪い悪党がいたりするので、そちらの心配をしているのだ。


平家にも、源氏にも介入しない。
そんな中立な場所だからこそ、そういうやからも侵入しやすいのだ。
来るものを拒まない場所だから・・・



そんなヒノエたちの心情をまったくわかっていないは、少しだけならいいか、と屋敷を出てしまった。
このときは、本当にすぐに帰って来るつもりだったのである。





***






数時間後、は一人の少年と剣を交えていた。



「たぁ〜!!」
「ていっ・・!」



練習用の木刀が交わって、すぐに離れる。

少年といえど、鍛えた男である。
よりも力は強くて、力勝負に持ち込むのは不利。
そのためすぐに間合いを取った。


離れた二人は互いににらみ合って相手の出方をはかる。
先に少年が仕掛けると、はそれを交わす。
次にがすばやく背後に回って攻撃すると、少年はそれを受け止める。


互いに実力が均衡しているのでなかなか決着がつかない。



「お前、強いな」
「あなたも、ね。」



この年代で一番の強さを誇っていた少年は、その自分と同等の力をもつ少女に驚きと、うれしさがうまれる。


自分より年上で強い人はたくさんいる。
けれど、同い年くらいのものたちではたいてい相手にならない。

それくらい、この少年は一人だけ飛びぬけていたのだ。


だからこそ、こうして自分と対等に剣を交えられるものがいてうれしい。


女だからと油断すれば負ける。
だけど、決して勝てない相手でもない。


大人たちは強いけれど、それは少年とはまた別格で。
どれだけ鍛錬を積もうともその差が縮まった気はしない。
近づいたつもりでも、彼らはまたその分離れていく。



悔しかった。
けれど、同時に大人だからしょうがないという気持ちも生まれてしまって・・・
負けて当たり前なのではないかと思ってしまった。


強すぎず、弱すぎず・・・
こうして勝負するにはちょうどいい相手が見つかって、とてもうれしかったのだ。


だから、彼は大切なことに気づかなかった。
忘れてしまっていたのだ。

この少女がいったいどこの子なのかということを。
今だ、名前すら聞いていないということを。



「はぁっ!!」



ガッ!!カラカラカラ・・・



一瞬の隙を突いて少年はの木刀を弾き飛ばた。
それはちゅうをくるくる回りながらとんで、地面に転がった。



「あっ・・」



鋭い痛みが手首に走ったと思ったら、いつの間にか手には木刀が握られていなかった。
弾き飛ばされたのだと気づいたときにはもう遅くて、少年の木刀はの目の前に迫っていた。



・・・!!」



ビシッ・・!



「―――っ!!」



誰かが呼ぶ声がしたと同時に、頬にピリッと痛みが走る。


予定よりもの近くを通ってしまった木刀。
少年の鋭い突きはの頬をかすってしまい、そこからはうっすら血がでていた。



「ごめんっ!!」



大丈夫か?!と、あわてて駆け寄ってくる少年に、平気だから、と返そうとしたが、それは彼女の口から発せられなかった。


目の前に、見慣れた紅い髪。
ヒノエが、少年からを守るようにして立っていたのだ。



「ヒノ「何をしているんだい?」



どうしてここにいるのかと、そう問いかけようとしたの言葉をさえぎって、ヒノエは冷たい声でいった。



「あっ・・・あなたは・・!!」



目の前にいる人が誰だかわかってしまった少年は、別当の冷たい表情にとたんに青くなる。



“棟梁を怒らせてしまっただなんて・・っ!!”



「け・剣の鍛錬をしておりました・・」



震える声でそう告げる少年。
それに対してヒノエはやはり厳しい表情で彼を見る。



「鍛錬は結構なことだよ。だけど・・・に怪我をさせたのはいただけないね。」
って・・・それじゃぁ彼女はっ・・・!!」



その名前は彼もよく知っている人の名前。
という少女は藤原家の大切な子で、前代の棟梁がまるで娘のようにかわいがっているのだと熊野では有名だった。
そして、現棟梁も妹のように大切にしているのだと。



自分はなんて人と鍛錬をしてしまったのだろうか。
しかも、小さな傷とはいえ怪我までさせてしまった。


ますます顔を青くする少年。
もう何もしゃべれそうにない。



「ヒノエ、彼は悪くないよ。私が剣の相手をしてって頼んだんだもん。それに鍛錬に怪我はつきものでしょう?」



コレはまずいとあわてて少年をかばうに、ヒノエはクルリと顔を向ける。



「確かにしょうがないことかもしれないね。だけど、もとはといえばなんでお前がこんなところにいるんだい?」



いったいどういうことか説明してくれるよね?といったヒノエは、いつものように笑ってはいなかった。



「えっと・・その・・一人でできることってあんまりないでしょ・・?それに結局皆忙しいから外に出たことってあんまりないんだもん。
だから外にも出てみたくって・・・」



すぐに戻ればいいと思い、外に出たらこの少年と会ったので手合わせしてもらっていたのだといった。



「へぇ・・・ねぇ、今何時かわかってる・・?」
「えっ・・?あっ!!」


言われて辺りを見ると、すでに周りは夕暮れだった。
2時間程度で戻るつもりが、うろうろしたり手合わせしているうちに倍以上の時間がたっていたらしい。



「仕事が終わって部屋をみてみればは部屋どころか屋敷のどこにも見当たらない。あわてて探しに来て見れば怪我してるってどういうこと?」



ずいぶん探し回ったんだよ?といわれると、に言い返す言葉はなかった。



「ごめんなさい・・」
「はぁ・・この前は木登りで、今度は外出?いったいどうしたら俺の姫神様はおとなしくしてくれるのかい?」



しばらく外出禁止にするよ?とヒノエが言うと、はあわてて抗議する。



「えっ、やだよ。だってと同じくらいの強さの人って屋敷にいないんだもん!ヒノエも湛快さんも、水軍の人も、皆私よりずっとずっと強いから。
ぜんぜん勝負にならないんだよ?たまには『いい勝負』したいもん!」

「あの、俺も・・俺も彼女とまた勝負がしたいです!俺の父が言っていました。同等の力をもつ好敵手がいた方が強くなれるって。
熊野には強い人はたくさんいます。でも、そういう相手にはなかなかめぐり合えないんです。」

「私、初めてだよ。鍛錬してて、誰かと打ち合って楽しいって思ったの、初めてなの!彼と一緒に鍛錬したいって、そう思うの。それって駄目なことなの?」



少年との真剣な表情。
懐かしい言葉。

それは、昔自分が父に言ったものによく似ているのではないだろうか。



「まったく・・・熊野の別当によくそんな口が利けるね。・・・お前とは本当に同等くらいだったのかい?」



ちょっとあきれたような口調のあと、真剣な表情で少年に問いかけた。


はヒノエたちには及ばないけれど、この年代では飛びぬけて強いはずである。
教えたことをすぐに吸収して、自分のものとする
それと同等の力というとかなり強い。



「「はい!!」」



異口同音。
その言葉がぴったり当てはまるような返答に、ヒノエの口は思わず緩む。
それを悟られないように引き締めて、真剣な表情で二人に向き合った。



「・・今日からお前の屋敷への出入りを許す。の鍛錬の相手、よろしく頼む」



少年とは一瞬ヒノエが何を言ったのか理解できなくて、顔を見合わせた。
そして、数秒かけてやっとどういうことかわかると、二人で手をとりあって喜んだ。



「ほら、二人とも泥だらけじゃないか。」



先ほどまでとは違う、優しい表情でヒノエが二人に手を伸ばした。
は迷うことなくその手をとり、少年もおずおずと手をとる。



「家に帰ったら真っ先に風呂に入れよ?」
「うん、わかってる〜」
「はい。」




夕日に照らされた熊野に、三つの影。
それは仲よさそうに並んで、藤原邸に走りこむ。



昔と同じその光景に、屋敷のものがほほえましく見ていたのを三人は知らない。