「秀蘭さん、親父の薬がなくなっちまったんですけど・・」



そういって入ってきたのは一人の青年だった。
彼はこの村の村長の息子で、村長たる父親が病気のためこうしてたびたび薬をもらいに来る。
この小さな村には医者は龍景と秀蘭夫婦しかいなかった。
この夫婦は貧しいこの村にある日やってきて、治療費もほとんどもらわずに人々の治療を続けた。
もらったとしてもわずかな野菜など・・・とても高価な薬と引き換えとは思えないものだった。
確実に赤字であるというのに、この二人は笑ってこういうのだ。



「私たちは今日この時間を過ごせるだけで十分なのです。このご時勢、いくらお金があったとしてもいつ無くなるか分からぬ命・・・
わずかともいえる時間でたくさんの人を救えるのなら、それほどうれしいことはありませんよ」







そんな二人の医者夫婦のもとには、一人の居候がいた。






「秀蘭さん、お昼ご飯できましたよ」




ひょっこりと台所から顔を出したのは一人の女性だった。
それに秀蘭は微笑むと、龍景も呼んできてくれる?と返しながら青年へと薬を渡した。




「これで二週間はもつはずですけど、何かあったら遠慮なくきてくださいね。」
「ありがとうございます。」



大事そうに薬を抱えると、青年は駆け足で家へと帰っていった。
それを見届けてから女・・も龍景のもと、裏山へと歩き出した。


整備されていない山道は歩きがたいけれど、毎回通っているうちになれてくるものだ。
最初のころは何度も転びそうになったりしたけれど、今では考え事をしながらでも歩けるようになった。










十数分あるくと、やっと目的の場所へと到達したようだ。
薬草を籠いっぱいに摘んでいる龍景の姿があった。



「龍景さん、お昼ごはんができましたよ」
「あぁ・・・分かった、すぐもどるよ。」



よいしょ、と言いながら立ち上がると、しゃがみっぱなしですこしつかれた腰を軽く叩きながらの隣に並んだ。
そして、いつものように二人で雑談しながら山を下っていった。



















****







「大変だー!!!!」



バンッっと勢いよく開けられた扉は、今にも壊れそうだった。



「あらあら・・・あとで直しておかないといけませんね」



駆け込んできた人を意識せず、のんびりと扉の心配をする秀蘭に、男性はそんな場合じゃないだろ?!と突っ込んだ。




「で、何が大変なんですか?」



まぁまぁ・・と男性を落ち着けながら聞くと、彼はあわてた様子で告げた。




「この村のすぐ近くで魏軍と蜀軍が戦ってるんだよ!!こんなとこにいたら巻き込まれちまうよ!!」
「なんだって!?それじゃぁすぐに避難したほうがよさそうだな・・・」
「あぁ。必要最低限のものだけ準備して逃げるようにいってるんだが・・・下手なとこへいくと戦場に突っ込んでくことになっちまうし・・・」



どこへ逃げるべきか・・・と皆頭をひねっているらしい。
どこかに頼れる親戚でもいる人はいいが、そうでない人はこの村をはなれればこれから生活する場所もない。
もともと戦争の被害にあった人や、職を求めて都へ行く途中に賊に襲われて文無しになった人、口減らしにあった人などなど・・・
生活に困った人々が集まってできた村。
裏山の果実などのおかげでなんとか食料を確保できていた人も少なくない。
ここ以外では生活していくのが厳しい人たちばかりなのだ。






「おい、やばいぜ!!劣勢の蜀軍がこっちの方まで後退してきてて、もうすぐそこまで迫ってる!!」



耳を澄ませば馬のひづめの音が聞こえてくるほど近づいていた。



「これでは隣村の方へいくこともできませんわね・・」
「・・・しかたない、裏山へ逃げ込みましょう。あそこなら奥のほうへ行けば大丈夫でしょうから・・」
「そうだな、俺、皆に裏山に行くように言ってきます!!」



言うが早いか、彼は家を飛び出すと大声で人々を誘導した。
女子供、老人を優先に逃がせ。男は荷物を抱えて逃げろ。
響く声に従って、少しずつ避難が進んでいく。
けれど無常にも時間は止まってはくれない。
馬に乗ったたくさんの人々の姿が、村から確認できるほど近づいてきていた。





、私たちも避難しましょう」




至極落ち着いた声音で言う秀蘭だったけれど、その表情はやはりいつもと違い微かに恐れを浮かべたものだった。
しっかりと握られた手が震えるのを何とかごまかそうとしていた。



「・・・はい」



一度迫りくる者達の姿を見てから、は秀蘭の手を引いて裏山へとかけた。
龍景はその二人を守るかのように最後尾を走った。
時折遅れる秀蘭の背を優しく押し、背後を常に気にしながら走っていた。



























*****









わぁぁぁぁぁ・・・
ぎゃぁぁぁ・・・





どれくらい走っていたのだろうか。
目的の場所の中ごろに到達したころ、ついにこの地で蜀軍が追いつかれたらしい。
戦場特有の人々の叫び声がこの場所にまで響いてきた。
それに村人たちはおびえ、足を止めてしまうものが続出した。




「逃げきれねぇよ・・いくら山の奥に逃げ込んだって、結局俺たちの家はあそこしかねぇんだ。戻るしかないだろ?!」
「だけど今戻れば殺されるぞ?!あいつ等は・・俺たち民のことなんか気にしてなんかくれねぇんだからよ!!」
「けどよ!それじゃぁあいつ等に村あらされて、俺らは山で篭っておびえて・・・それでいいってのかよ?!」
「死にたくないよー・・・」



一人が不安を吐露しだすと、それにつられるように叫びだす。
言い合いがおこったり、数人でかたまって肩を寄せ合い涙を流したり・・・
この場は混乱状態に陥っていた。
比較的まともな人でなんとか落ち着けようとしたけれど、なかなか言葉が届かない。




「お偉いさんってのは自分たちの都合で戦おこして、俺たちを巻き込むんだ!!人徳の人だなんだといったって結局蜀だって魏とかわんねぇんだよ!!」
「そうだよ、蜀がこっちに逃げてこなきゃ俺たちが巻き込まれることなんてなかったんだろ?!蜀が・・蜀のせいだ!!」



蜀を、自分たちの住む国を批判する声があがる。
もともと被害者が多い村人たちは、愛国心というものが薄い。
また戦に巻き込まれるとなって彼らは怒り狂った。



「皆落ち着いてよ!蜀のせいにしたって仕方がないでしょう?!」
ちゃんは根無しの蜀と一緒に逃げてた民だからそういうけど、実際今回のはあいつ等が俺たちを巻き込んだんだぜ?!」
「そうだよ。かばいたい気持ちはわかるけど、ちゃんだってそのせいで大怪我してここにきたんだろ?」
「あんなやつ等ほっとけよ!!」




止めようと声を張り上げるけれど、返ってくるのはそんな言葉ばかりだった。
血気盛んな人にいたっては、今すぐにでも村にもどって蜀兵たちに襲い掛かりかねないほどだった。



「でも・・・・・」



言葉は続かなかった。


知らず知らずのうちに手をギュッとかたく握り締めていた。





悔しかった。
父を、蜀のものたちをののしられて、それを止めることの出来ない自分が悔しかった。
村人たちが、自分の住む国蜀に対してもいい思いを持っていないことを知ってはいたけれど、実際にそれを目の辺りにすると悲しかった。
また何もできない・・・





夏侯惇将軍に生かされて、なんとか繋いだその命。
けれどそれで私は何が出来たのだろうか。


身寄りがないのだろうという勘違いを正そうとせず、秀蘭さんと龍景さんの優しさに甘えていた。
少しの医療を学び、手伝いをして、小さな世界で暮らした。
外の大きく広がる世界を見ようとも、知ろうともしなかった。
何がしたかったのだろうか。
いまだに大切に手入れをして持っている武器。
朝の鍛錬を欠かすこともなかった。
もう武器を手に戦場に立つこともないだろうに、武を磨き続けた。
売れば多少は家計の足しになると分かっていても、それでも手放すことが出来なかった。
二人も何も言わず、ただ静かに見守ってくれていた。
何も聞かず、迎え入れてくれた。
大切な、人。
約6年過ごしたこの村は、とても大切な場所になっていた。
だけど・・・・






「あら・・、そんな風に強く握っては駄目よ。ほら、血が出てしまってるじゃない」



秀蘭は手を開かせて簡単な治療を施した。



「ねぇ、もしかしてあなたのお父様あの戦場にいるんじゃないの?」
「それは・・・・」
「私たちのことなんて気にしなくていいのよ?あなたはあなたのやりたいようにしなさい」




咎めるわけでもなく、ただ好きなようにしろという秀蘭。
龍景もそれに静かにうなずいていた。



このままここにいるもよし。
父の元へもどるもよし。
自分の好きな方を選べと彼らは言う。







戻っても、もう父と呼べぬかもしれない。
死んだと思われているのだろうから、間者とでも思われて殺されるかもしれない。
けれど、それでもやっぱり・・・・






「・・私、いってきます。」



二人を見据えてそういうと、彼らはにっこりと微笑んだ。
いってらっしゃい
そういわれたように思えた。
背中を無言で押してくれた。
私も何も言わずただ微笑みを返した。
それだけで、全てが伝わる気がした。





山をかける。
村へと、大切な人たちの元へいくために。
後ろから誰かの止める声が聞こえた。
けれど、一度として振り返らずに前を向いて走り続けた。









今度は自分の力で守れるように。












そんな思いを胸に走り続けた。