「引けー!!一時引いて体制を立て直すのだー!!」



統率の取れていない軍を見かねた軍師が指示をだしたのか、ある兵がその言葉を発すると魏軍は一斉に引いていった。
言葉通り一時ではあるだろうが、こちらも対応する時間が取れたことに一同はほっと一息ついた。
この短い時間でうまく立て直せたほうがこの戦の勝利者となる。
それはどちらの軍の者達もが思い、考えたことだった。







「お怪我はございませんか?」



どこか放心状態の彼に、私はそう声をかけた。
怪我が無いはずはないだろうが、それでもそんな言葉しか思い浮かばなかったのだ。
一般の農民が、一国の君主に話しかけることなんて本来なら出来やしないんだから。


沈黙がいやで苦し紛れで言ったそれだったけれど、彼はきちんと答えてくれた。




「あぁ、大丈夫だ。」




それがきっかけだったのか、周りにいた兵や将軍たちが彼の元へさっと駆け寄った。



「殿」
「ご無事でなによりです」
「力及ばずもうしわけございません」



さまざまな声が溢れかえるが、劉備はその一つ一つをどれも聞き漏らさぬように真剣に聞いていた。





変わらないなぁ・・・



その姿が自分の知っていた彼の姿に重なって、思わず笑みがこぼれた。
優しい人なのだ、本当に。
普通なら軽く聞き流すような小さな声であっても、必ず耳を傾けてくれる。
真剣に悩んで、対策を整えてくれる。
他の君主たちとは違う、義勇兵の出だからこそのその心で人々を導いていく。
だからたくさんの人に好かれるのだ。
自然と人が集まってくる。
それが彼の利点だった。




お父様・・・



囲まれる彼の姿。
次第に人で壁が出来ていった。
これが今の私と彼の距離をそのままあらわしているようで、少し悲しかった。


所詮もう近づくことなど出来ない。
分かっていたその事実を思い知らされて胸が痛んだけれど、私は彼らに気づかれないようにそっと家の中に入った。






少しだけ小さくなった人々の声にまるで自分だけこの世界と隔離されているような気分になった。
一人になればなるほどいろいろなことを考えてしまうけれど、それでもあの場所にずっといることも出来なかった。




誰かに気づかれたくなかった。
お父様を助けたいという気持ちはずっと変わっていないけれど、今更あそこに戻ることはできないから。
だからそっとしておいて欲しかった。
影から守る。
それくらいが自分にあっているのかもしれない。
近すぎれば、またあの思いに悩まされるかもしれないから・・・




家族・・か・・。



私は自然と自嘲の笑みを浮かべていた。













**




「・・・あの人はいったい・・・」



魏軍が引いていって一番に気にしたのは殿が無事かどうか、だった。
彼がいなくてはこの蜀は成り立たない。
ゆえに一番に優先されるのは彼の安全なのだ。


情けないことに自分は一番重要なときにいつも彼を守り通すことができていなかった。
目の前の敵に翻弄され、気がつけば殿のすぐ近くまで敵は迫っていた。
この命をかけても守ると誓ったのに、最終的に彼を救うのはいつも私ではなかった。




6年前は姫だった。
殿の娘の姫は姫という立場でありながら知や武を学び戦場に立った。
何に対しても決して逃げることなく、いつも勇敢に敵に立ち向かっていった姫。
彼女は危機に陥った殿を守る為に敵の真っ只中へ突撃し、そして彼を逃がすが為にその場に残った。



そして今日は謎の女性。
鎧も身に着けていなかったことから兵士ではなくこの村の民なのだろうが・・・詳しいことは何も分かっていない。
ただ、その武はそこらの将軍にも勝るとも劣らないほどのものだった。
彼女はいったい何者なのだろうか・・・。




そこまで考えてふと浮かんだのは今彼女はどうしているのかということだった。
魏軍が引いてからもこちらはあわただしいままで、彼女について触れた人はいなかった。
誰も彼女にかまっている余裕がなかったのだ。



彼女は今どこに・・・?



あたりを見回してみるが、どこにもその姿が見えなかった。
ためしに近くにいた兵に聞いてみたが、だれもその行方を知らないという。
少し前まで確かにいたと思ったのに、いつのまにかいなくなっていたらしい。
いくらあわただしかったとはいえ、これだけの人がいる中で誰にも気づかれずにいなくなってしまうとは・・・・
突然やってきた女性は、また誰にも知られずに突然消えてしまった。



あれは幻だったのだろうか・・・・・





カタン



普通の人だったら気づかない程度の小さな物音。
これでも将軍を務めている私は、その物音を聞きつけることができた。
聞こえてきたのは小さな家だった。
村なのだから当たり前にあるその建物たちを改めてみて、ふと思い至った。



村のものなら自分の家にいるかも知れないじゃないか。



そう、なにもいつまでも外に突っ立っていることはないのである。
そんな簡単なことにも気づけなかった自分が情けなくなってくるが、とりあえず殿を助けたあの人を探そうと決めた。



手始めに一番近くにあり、なおかつ物音の聞こえたこの家から・・・・・
そう思い、ゆっくりと扉に手をかけた。




キィィ・・



多少たて付けが悪いのかぎこちない動きではあったけれど、ゆっくりと扉が開いた。


ごく普通の家だった。
しいて言うなら壺や書物がたくさん棚に収められているぐらいで、他に変わったところのない家。
そこには壁に寄りかかってうつむいて座っている女性の姿があった。



彼女は私の開いた扉の音に一瞬ビクッと肩を震わせると、ゆっくりとこちらへと顔を向けた。



彼女はやはり探し人・・・殿を助けた女性だった。
先ほどはあまりよく見えなかった顔が、今はよく見えて・・・なんだか不思議な感覚を覚えた。





どことなく・・見覚えがあるような・・・・?



懐かしい気持ちを覚えて、思わず近づいてまじまじと彼女の顔を凝視してしまった。
見れば見るほどその気持ちは大きくなっていた。
けれどそれが誰だったのか、また、本当にあったことがあるのかということは分からなかった。



この人は一体・・・・・・・・?



私の疑問は大きくなるばかりで、少しも解決されることはなかった。
このときの私は自分が考え込むことで手一杯で、彼女が私を見た瞬間に目を見開いて驚いていたのに気づくことができなかった。







私は気づかなかった。
彼女はすぐに気がついた。








だけど確かにこのとき、私たちは6年ぶりの再会を果たしていた。








たがえた道が、また交わった瞬間だった。