「このようなところに何の御用でしょうか」


静寂を断ち切ったのは私の方だった。










キィィ・・・

そんな音を立てて扉が開いた。
その音に思わず肩を震わせてしまう。
まさか人が入ってくるだなんて思ってもいなかったのだ。
こちらに歩いてくるのは気配と足音でわかった。
けれど私は顔を上げるつもりなんてなかった。

早く立ち去ってくれればいいのに

そんな思いでいっぱいだった。
こんなところにいないで、殿が無事なことに喜びを感じていればいい。
これから迫り来る魏軍の脅威に立ち向かうすべを考えておけばいい。

私のことなんてほおっておいてくれればいいのに。


そんな思いが浮かんできて、私はその人が立ち去るのをじっと待った。
だけどその人は立ち去るどころかどんどんこちらに近づいてきて、ジーッとこちらを凝視し始めた。



・・妙な視線が痛い。
それこそ穴が空くのではないかと思うくらい見続けるものだから、見られるこちらとしてはたまったもんじゃない。
なんとか無視し続けようとも思ったのだが、あいにく今はそれほどの心の余裕がなかった。
気になってしかたがなかったのだ。

・・・あーもー一体なんなのよ・・

あまりのことに私は仕方なく顔を上げた。


扉は開いたままだったのでそこから光が注ぎ続け、私から見ればその人はまるで後光を背負っているように見えた。
逆光で顔がよく見えなくて、しばらく目を瞬かせる。




えっ・・・・?


思わず目を見開いてしまう。
だけどどれほど目を見開こうと、そこに存在する人が変わることはなかった。

そこにいるのは緑の鎧をきた下っ端の兵だと思っていた。
だけど実際にいたのはそんな程度の人ではなかった。
光に目が慣れた私が見たのは蜀の五虎大将の一人、趙雲だった。



趙雲


彼が来るだなんて予想外もいいところだ。
確かに彼の性格的には殿を助けた存在をそれはもう丁重に扱ってくれるだろうが・・・まさか肝心の殿をほっぽってきてしまうだなんて。
私の知っている彼の行動とは正反対だった。


私は思わず言葉を失ってしまって何もいえなくて、彼も彼でどこかボーっとしたような表情で私を見るだけだった。
どちらも一言も発さなくて、この空間は静寂に包まれた。



「このようなところに何の御用でしょうか」


散々迷ってやっと出た言葉はそれだった。
何とかこの静寂を断ち切ることは出来たけれど、根本的な解決にはなっていない気がする。
いまだに趙雲はこちらを見続けているのだ。
視線が痛くて顔を上げたのに、これでは何も変わらない。
私の言った言葉すら届いているのか怪しかった。


「蜀の趙将軍とお見受けいたしますが私になにか御用でしょうか」

仕方なく再度言い直すとやっと彼は反応を示してくれた。

「え・・あ、私は趙子龍と申します。用・・というか殿をお助けしてくださったあなたの姿が見えなかったものですから・・」

探していたのだと趙雲は言った。
なんというか自分で探し回ってしまうあたりが彼らしい。
普通は兵に頼んで探させるだろうに・・・


「趙将軍のお手を煩わせてしまって申し訳ございません。」

そこらの町娘のように申し訳なさそうに言うと、彼は自分が勝手にしたことだから・・と気にしないように言ってくれた。
そうはいっても所詮将軍と農民・・身分の差はあきらかで、彼がどういおうと今の私はこの態度を崩すことは出来なかった。

「それで・・・私になんの御用だったのでしょうか」
「え・・・?」
「私はただあの戦場から村を守りたかっただけなのです。
 ・・・あの方を守るためだけに飛び出したのはありませんので、お礼をいわれるようなことではありません。」

それだけでしたら私は村の者達の元へ戻らせていただきます。
そう続けていうと趙雲は困った表情で何かを言おうと口をもごもごさせる。
考えを必死にまとめているのだろうか。
あーとかうーとかときどきうなり声のように漏れてくる声。
その将軍と呼ばれる人には不釣合いな様子に思わず噴出しそうになった。
・・もちろん全力でこらえたが。

しばらく微笑ましい彼の様子を眺めていると、突如決意したかのようにきりっと表情を変える。
そして一言。

「それでも殿が貴女に救われたことには変わりませんのでお礼はさせていただきます。是非殿のもとへおいでになってください。」
「いえ、私はお偉い方々の前に出れるようなものではありませんので・・・
 趙将軍がじきじきにいらっしゃってくださっただけでも身に余ることなのですから」


いくらなんでももう一度お父様のもとへ行く気にはなれなかった。
しっかりと顔を見てしまえば気持ちを抑えられなくなる。
叶いもしないことを願ってしまいかねない。
だからどれだけ言われたとしても『殿のもと』へ行くわけにはいかないのだ。


「ですがきっと殿もじきじきにお礼を申されたいと思いますし・・・一緒にきてください。」
「いえ、ですから私なんぞがお会いすることはできないのです。」
「そんなことはありません。」
「そんなことあります。私は多少武芸ができたとてただの村娘でございますから。」

きてくださいよ。
いえ無理です。
いや、そんなことは・・・
そんなことあるんです・・・
延々続く言葉の応酬。
終わりがまったく見えてこないのは気のせいだろうか。
まぁ互いに主張し合ってるだけなのだからそれも仕方がないのだろうが・・・
いい加減疲れてくる。
なによりあまり言い合っているとぼろが出そうで怖い。



「養父と養母が心配しているでしょうからそろそろ戻らないといけないのです。申し出は本当にもったいないほどのものなのですが、私はこの辺で失礼させていただきます。」

一息に言い切るとぺこりと頭を下げてさっさと家から出る。
扉の外に出ればまたあの騒がしさが戻ってきたが、ここでもたもたしているわけにもいかない。
止められる前に逃げ切らなければならないのだ。
なかば放心状態の趙雲をほっぽりだしてきのだが、彼の硬直が解ければすぐに追いかけてくるだろう。
そうなればいくら私が全力で逃げたところで追いつかれるに決まっている。
今のうちに姿が見えなくなるくらいまで逃げておかなければ!


スタスタと早歩きで山の方へと向かう私。
けれど突然何かにガシッと腕を掴まれてしまった。


「あの、私急いでいま・・・」

急いでいますので御用は後にしてください。
それは不自然なところでぶっつりと切らざるをえなくなってしまう。
クルリと振り返った私が見たのは、自分の腕をがっしりと掴む緑の鎧の青年。
しかもだいぶ偉そうでそこらの兵よりきらびやか。
そして携えた長い槍。
五虎大将の一人馬超の姿がそこにあった。









「あ、あの・・・」
「悪いが殿からのご命令でな、お前を御前に連れて行かなきゃならないんだ」

ぐいっと腕を引っ張りながら歩き出す馬超。
当然引きずられ、しぶしぶ歩き出さざるをえなくなった私は一つため息を吐くとあきらめて彼の後に続く。

「別に逃げたりしませんから腕はなしていただけないでしょうか。」

掴まれたままではあるきにくいのでそういうと彼は手を離してくれる。
強く掴まれていたおかげで多少血のめぐりの悪くなった腕を軽くさすりながらついていくと、すぐに目的の場所へ到着する。
そこには大勢の兵が中の人物を守る壁のように立っており、ここからではその姿さえ見ることは出来なかった。



「俺だ。殿のご所望のやつ連れてきたぜ」

近くにいた兵に通してくれるようにいうと、その人は「お疲れ様です」とぺこりと頭を下げるとすっと脇によって道を開けてくれた。
それに続くようにその回りにいた者達もすすっと脇によっていく。
人垣がわれ、そこに一本の道ができた。



「よく来てくれたな」


道の先に待っていたのは満面の笑みを携えた蜀の城主劉備だった。













その微笑に涙がこぼれそうになってしまうのは仕方がないことなのでしょうか