見つけた・・・




理想と願い





走って、走って走って・・・
この屋敷がこんなに広いなんて、初めて感じた。
普段から行動範囲の広いヒノエには、コレくらいどうってことのない距離。
全力疾走しても疲れない、それくらいの距離。


だけど、今はそうは感じられない。
一秒が一分のように感じて、どれだけ走っているのか分からなくなる。
自分がちゃんと裏庭へ向かえているのか不安になる。



早く、早く行かなきゃいけないんだ!!



今はを一人にしてはいけない。

なぜだかそう思った。
絶対に独りにしてはいけないと、そう思ったんだ。


誰かが彼女を助けなければいけない。
その誰かは、望美でも白龍でもなく、オレなんだと思ったんだ。


確かな根拠なんて一個もなかった。
だけど、がオレをよんでいる気がしたから。
オレに助けを求めている気がしたから。
だから、オレはあそこを飛び出したんだ。
あいつらが何かを言った気もするけれど、オレのなかには白龍の言葉しかなかった。

裏庭の隅。

それだけわかれば十分だ。



このときは、一刻も早くのところへ行くことしか考えていなかった。
原因があんなに大きなことだったなんて、思いもしなかったんだ。






・・!」



裏庭の隅には大きな桜の木があった。
その桜の木の前で、は空を見上げていた。


オレが声をかけても、彼女は何も反応を示さなかった。
ただ、じっと上を・・空を見ていた。
すっと視線を下げたかと思うと、それは桜の木を見る為のもので。
哀しい表情をして、また空を見上げる。
オレが来たことにさえ気づいていないようだった。


いや、気づいてはいるのかも知れない。
気配があることはわかっているのだろう。
けれど、それをまるで空気のように扱っているのだ。
彼女には、オレという存在を認知する気力さえないのだろう。



・!いったいどうしたんだよ!?」
グイッと彼女の肩をつかんで向き合う。


はやっとオレを認めたけれど、その瞳にいつもの輝きはなかった。



「ひ・のえ・・・」



弱弱しくつぶやかれたオレの名前。
そんな風に呼ばれたのは初めてだった。

はいつだって元気よく、それでいて耳障りにならない声でオレをよんだ。
こんな、今にも消えそうな声は聞いたことがなかった。



・・?何があったんだ・・?」
「・・・・――――」
「えっ・・?」
「――――京は嫌いだよ・・・」



冷え切ったその体と同じように、彼女の瞳は凍り付いていた。
どこまでも冷たいその表情は、声色は、あの春の六波羅で九朗へ向けていたものによく似ていて、どこか違う。


あの時は神々しいという表現が一番あっていた。
神の怒りに触れたのだと、そう思えるもの。


けれど、今は違う。


もっと人間らしい、憎悪とかそういうものが一番近い気がする。



いったい、何があったのか。
あのをここまで変える出来事が、この短時間で起こったとでも言うのだろうか。



「どういう意味だい・・?」



思わず感情を荒立てそうになる心を沈めて、冷静にそう問いかけると、彼女は辛い表情で答えてきた。



「京は嫌い。穢れも、怨霊も人も嫌い。白龍も黒龍も・・嫌い。だけど、私は・・私が一番嫌い」
・・・・?」
「守れない私が一番嫌い。役目を全うすることもできなくて、力があったのに肝心なときになにもできない自分が、大嫌い!」



京も穢れも龍神も、全てが嫌いといった彼女は、何より自分が一番嫌だといった。
何もできない自分が嫌だと、そういったのだ。



それは誰もが一度は持つ思い。


ある程度の力を持てば誰もがその先を願ってしまう。
けれど、力はそこまで大きくなくて途中で途絶えてしまう。
力はあっても、ただ少し機会が悪かったというだけで、全てが変わる。



それはヒノエもよく知っていた。
熊野の別当として上に立つ彼は、どうしても選択する機会が多い。
時には、どれかを切り捨てなければいけないときもある。
そうでなくても選択を間違え、出なくてもよかったはずの犠牲が生まれることもある。
そのたびに、彼もまた辛い思いをしている。


皆の上に立つ者だから、それを明かすわけにはいかなくて。
独りでこっそり涙を流したことがある。



そのときはこの世界にたった一人しかいないような、自分だけしかいないような、そんな気がして。
どこまでも孤独で、苦しかった。




「気づいていたの。幻想界がもうすぐ壊れてしまうってこと・・・日に日に大きくなる歪みをずっと感じ取っていたんだもの。
だけど・・だけど、私何もできなかった。私の勝手な判断で、四神を京の守護へとまわした。私も京へと来てしまった。
そうなれば幻想界の均衡が崩れるってこと分かっていたはずなのに・・!!それなのに、私は彼らよりもこちらを優先してしまった。
私は、京へ力を送ってはいけなかったのに・・・!」




どうして、どうして私はあの時選んでしまったんだろう。


分かっていたはずだ。
幻想界と京。
どちらか片方しか、私には守ることはできないってことを理解していたはずだったのだ。



それなのに、応龍に助けを求められて、私は力を貸してしまった。
私には一つの世界を守るだけの力しかなかった。
それが役目で、それ以上の力を持つ必要がなかったから。


だけど、私はそれ以上を求めてしまった。
知らず知らずのうちに私は私の力を過信しすぎてしまっていた。
少しくらいなら平気だと、浅はかな決断をしてしまった。
それがどんな結果をもたらすのか、考えもしなくて。



もう戻らないあの時間。
もう戻れないあの場所を。


いまさら求めたってもう遅いのに、私は帰りたいと願ってしまった。
私は願いをかなえる立場で、願いを求める存在ではないはずなのに。



どうして、どうしてこうなってしまうのか。




「なんで・・・なんでこんなことになってしまうの・・?」



そう問いかけるに返す言葉は見つからない。

その答えをヒノエ自信も持ってはいないから。




どうしてあの場所がなくなって、ここが存在しているのか。

だめ・・こんなこと思っては、だめなの・・


こんな、汚れきった場所が、あの聖獣たちの世界に勝るとでもいうのか。

違う・・勝るとか、劣るとか、そういうことじゃないの・・・


私の力を奪いつくしたこの世界が、どうして先に消えないのだろう。

だめ・・この先を考えてはいけないのに・・・


こんな世界、なくなってしまえ。

あぁどうして・・・どうしてこんな気持ちが生まれてしまうんだろう。


なぜこちらが歪みに飲み込まれないのだろう。

飲み込まれない方がいいじゃない・・?だってそうすればこちらは助かるのに。


消えないなら私が消そうか?

けれどそれでは私の気が治まらない。
なんで、なんで理想とは真逆のことを願ってしまうのか・・



そうすれば、私は楽になれるだろうか。

あぁそうか。私は弱いから、こうやって逃げるんだね。


この気持ちから、逃れられるだろうか。

そんなことないかもしれない。だけどそうすることしか私にはできない・・


ねぇお願い誰か、誰か助けて。

ねぇ助けて、ヒノエ・・・